2012年3月19日月曜日

ボリス・ヴィアンが出ている映画


  1. 『恐るべき子供たち』『危険な関係』『地獄に堕ちた勇者ども』を借りてみました。ジャズの関係している映画を見たいな、ということでセロニアス・モンクが音楽を担当したという『危険な関係』の音楽だけが目的で、後はおまけという感じです。見始めてすぐにおやっと思うのは、『危険な関係』にはボリス・ヴィアンが出ているんですね。
  2. 時間はないのに、安いとつい余計なものまで借りてしまいますね。6日目までに1本みて、7日目に2本見るというありがちなパターンでした。

2012年3月11日日曜日

NHKの『3月11日のマーラー』という番組を見ました。2011年3月11日の夜、津波が大きな爪痕を残して去り、東北で被災一日目の夜が迎えられようとし、東京で交通機関が麻痺し、多くの帰宅困難者が家路についていたとき、同じ東京の一角でマーラーの交響曲第5番が決行されようとしていました。奏者はどのような思いで演奏し、100人ほどの観客はどのような思いでそれを聞いたか、当時そこにいた人たちの話を聞きつつそのときを振り返るドキュメンタリーです。
その日やる演目がマーラーの交響曲第5番だったというところが、とても重要たったのだと思います。自分がその場にいたら泣くかもしれないと思いました。
再放送で見る機会があればぜひ。そうでなくとも交響曲第5番を聞きながら1年間を振り返るのもいいかもしれません。

2012年3月9日金曜日

プレモダン ケーススタディ


世の中に、まことしやかに語られる嘘の多いこと。さて、チャーリーパーカーをはじめとする黒人ジャズミュージシャンたちが兵役をサボタージュしてニューヨークの地下酒場でビバップに興じていた1942年、時を同じくしてドイツ軍占領下のフランスパリ。サンジェルマン・デ・プレと呼ばれる界隈の地下酒場でもジャズに魅了された若者たちが踊り明かしていた。丈の長いジャケットに縮れた長髪、手には傘といった出で立ち、zazouと自称した彼らは、ことあるごとに占領軍に抵抗した。死んだ町で彼らの有り余る情熱を受け入れたのはジャズであった。地下酒場ではジャンゴラインハルトがギターを奏で、ザズーが踊る。この当時のはやりはまだモダンジャズではなく、スウィング、とくにニューオリンズリバイバルといわれるものだ。そしてアマチュアバンド「クロード・アバディ楽団」でおもちゃみたいなかわいらしいトランペット、コルネットでビックス・バイダーベッカーばりの見事なアドリブを披露しているのが、ボリス・ヴィアンである。
プレモダンの事例調査としてボリス・ヴィアンに関する文献にあたってみようと思ったのです。

この本は非常に良かったです。ボリス・ヴィアンという人と、当時の時代というのがとても良くわかる。以前ボリス・ヴィアン自身が書いたサンジェルマンデプレのガイドという本があったのですが、自分には読みにくくて、全部読まないままどこかにいってしまったんですが、これはそのダイジェスト版のようなものだったのでしょうか。

さて、なぜプレモダンなのでしょうか。今僕が探している音楽は年代でいうと1957年から1960にかけて。年表を見るとビバップが終わりかけ、モードへと転換しようとしていた頃になります。ただし気がかりなことが二つあって、一つは年表をそのまま読んでは危険ではないかという心配です。フランスではクロード・リュテールやボリス・ヴィアンといった早耳たちがアメリカからいち早くジャズメンを呼び寄せたことでモダンジャズが受け入れられるようになったとあります。でもやっぱり多少の時間差はあります。まして日本においてどうであったかです。もう一つは、厳密にいえば探しているものはジャズではないということです。けれどもでは何を探しているのかというと、それはよくわかっていないのが現状です。

ちなみに、この本の中でヴィアンに「コレージュド・パタフィジックより太守の位を授与される」との記載があり、ヴィアンが語られる中でたびたび登場する「パタフィジック」という言葉なのですが、なんだかよくわからないんですね。と思っていたら先日の『アルバート・アイラー』の帯にも書いてありましたね。

2012年3月8日木曜日


とうとう本まで読み出す始末でして、ただ、そもそもの目的はアフリカの星のボレロのような曲はどこにあるのか、ということでした。全体的にわかりやすくすんなりと入ってくる内容です。そもそもの目的はアフリカの星のボレロのような曲はどこにあるのか、ということでしたが、その点1950年代から60年代を知りたいという自分の期待と見事に合致していて、知りたいところを詳しく、丁寧に書いてくれているところが、非常に好都合でした。

特に目を引いたのは、1956年にサントラやミュージカルのLPが次々にプレスされ大流行するという一文ですが、講義ではさらっと流されたようです。個人的にはここが一番知りたいところですが、少なくとも手がかり一つ見つかったという感じでしょうか。実際大流行とはどんなもので、どんな曲が流行したのか詳しく知りたいところです。

撃墜王アフリカの星がドイツで公開されたのが1957年なので、流行に載ってプレスされたのも納得ですね。そもそもサントラのレコードが作られ始めたのがこの頃ということなのでしょうか。詳しいところは他の文献を探す必要があるようです。

じつはそもそもこのレコードが作られたのがいつなのかっていうところがあやしいんですよね。CDだとたいてい何年何月までっていうのが帯のところに書いてあってだいたい想像できますが、レコードってそういうのがないんですよね。ジャズについては何年何月何日に録音というのが書いてあるんですが。A面の太陽がいっぱいがフランスで公開されたのが1960年らしいですから、3年も間があるんですね。そういえば、そうだとしたら少なくとも1960年以降になりますよね、プレスされたのは。でフランス公開の年に日本で公開されたかどうかも怪しいですね。父は10歳のときに見たことになります。

小学校4年生で「太陽がいっぱい」とは・・・。しかし当時「子供向け」という娯楽がそれほどなく、大人もこどもも一緒くたで映画を楽しんでいたということも想像されます。たとえば、初のテレビアニメ『鉄腕アトム』でさえテレビ放送されたのが1961年、東映まんがまつりが始まったのが1964ということらしいので、今と比べれば何もなかったに等しいですね。あと内容は確かに子供向きではないですが、太陽がいっぱいは非常に話題にもなった作品なので大人子供関係なく見てたのかもしれないですね。

あと輸入のタイムラグというのも考えないといけないとは思います。例えば、本の中では1942年頃兵役からサボタージュした黒人らに寄ってNYの地下カフェで生みだされたビバップは、1950年代半ばには既にニューヨークではすでに廃れかけていたが、カナダに巡業したところ、ビバップを知らないカナダ人に大好評であったというような記載が見られました。とはいえ映画なんかはものにも寄るでしょうが、おおむね1、2年くらいではなかったのかと個人的に思います。ただ今と違って記録メディアがないため数年後に公開ということもあったのかもしれません。公開されなかったものはテレビで初めて放送というのもずっと後ですがあったようです。

私事で恐縮ですが、初めて買ったのはユニコーンの『すばらしい日々』のシングル(帯型)800円でした。これが1993年発売だったので考えてみれば同い年。また、初めて買ったアルバムは1996年『ジャミロクワイと旅に出よう』で13歳。遠い昔のようでいて今も変わらず聞いてます。ちなみに10歳の頃大好きだった映画は『ダイ・ハード』と『ターミネーター2』。考えてみれば10歳のときと今と何も変わってないですね。

教材となった曲を隣の日記にまとめています。ただ同じことを考えた人たちが早々とプレイリストを作っているので、そちらの方が便利かもしれません。5のコルトレーン「ジャイアントステップス」のビデオについては、見ても楽しいのでおすすめです。