2012年3月9日金曜日

プレモダン ケーススタディ


世の中に、まことしやかに語られる嘘の多いこと。さて、チャーリーパーカーをはじめとする黒人ジャズミュージシャンたちが兵役をサボタージュしてニューヨークの地下酒場でビバップに興じていた1942年、時を同じくしてドイツ軍占領下のフランスパリ。サンジェルマン・デ・プレと呼ばれる界隈の地下酒場でもジャズに魅了された若者たちが踊り明かしていた。丈の長いジャケットに縮れた長髪、手には傘といった出で立ち、zazouと自称した彼らは、ことあるごとに占領軍に抵抗した。死んだ町で彼らの有り余る情熱を受け入れたのはジャズであった。地下酒場ではジャンゴラインハルトがギターを奏で、ザズーが踊る。この当時のはやりはまだモダンジャズではなく、スウィング、とくにニューオリンズリバイバルといわれるものだ。そしてアマチュアバンド「クロード・アバディ楽団」でおもちゃみたいなかわいらしいトランペット、コルネットでビックス・バイダーベッカーばりの見事なアドリブを披露しているのが、ボリス・ヴィアンである。
プレモダンの事例調査としてボリス・ヴィアンに関する文献にあたってみようと思ったのです。

この本は非常に良かったです。ボリス・ヴィアンという人と、当時の時代というのがとても良くわかる。以前ボリス・ヴィアン自身が書いたサンジェルマンデプレのガイドという本があったのですが、自分には読みにくくて、全部読まないままどこかにいってしまったんですが、これはそのダイジェスト版のようなものだったのでしょうか。

さて、なぜプレモダンなのでしょうか。今僕が探している音楽は年代でいうと1957年から1960にかけて。年表を見るとビバップが終わりかけ、モードへと転換しようとしていた頃になります。ただし気がかりなことが二つあって、一つは年表をそのまま読んでは危険ではないかという心配です。フランスではクロード・リュテールやボリス・ヴィアンといった早耳たちがアメリカからいち早くジャズメンを呼び寄せたことでモダンジャズが受け入れられるようになったとあります。でもやっぱり多少の時間差はあります。まして日本においてどうであったかです。もう一つは、厳密にいえば探しているものはジャズではないということです。けれどもでは何を探しているのかというと、それはよくわかっていないのが現状です。

ちなみに、この本の中でヴィアンに「コレージュド・パタフィジックより太守の位を授与される」との記載があり、ヴィアンが語られる中でたびたび登場する「パタフィジック」という言葉なのですが、なんだかよくわからないんですね。と思っていたら先日の『アルバート・アイラー』の帯にも書いてありましたね。

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